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もういい加減、汚部屋を卒業するね!35年の片づけられない生活に終止符を

生活
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中学生の頃から片付け本を読んでいました。

なぜそんなに幼い頃から、その本を読んでいたかというと、自分の部屋の散らかりように困っていたからです。どうしてそんなに物が多いのか、散らかるのか、分からないけどずーっと片付かない。

高校生になっても専門学生になっても社会人になっても…ずっとずっと片付けられずにいました。社会人歴15年以上経った今でも。

しかし、そんな私にもついに転機がやってきました!やっと物を捨てる覚悟ができたのです。今回のブログでは、片付ける決心がついた私の心の変化を記録していきます。片付けとは直接的に関係ないことも書いているので、片付け前後の変化だけが知りたい方は、目次からスキップして読んでください。

時代のせいにしたくはないが、多少は影響あるよな。

実家の居間。これはまだ片付いている方。

幼少期の家族構成は、大正生まれのじいちゃん、昭和一桁生まれのばあちゃん、昭和の豊かな時代を生きた父ちゃん・母ちゃんと、平成を生きた私(ギリ昭和生まれ)と兄弟。

戦争を経験しているじいちゃん・ばあちゃんは、物を大切にする。大切にするがあまり、「まだ使える」と粗大ごみを拾ってきたり、人から貰ったものを使わないのにとってあったり、物の出口がない。

※ちなみに現代では、粗大ごみを勝手に持ってくるのは犯罪らしい(当時のルールは分からぬ)。

物をたくさん持っていることが豊かさの象徴という時代。そんな時代を生きたじいちゃん・ばあちゃん世代。その世代に育てられた父ちゃん・母ちゃん世代は、やはりその思考を受け継いでいる。

もちろん、その家庭や個人によって考え方は様々だと思う。色んな本や人の話を聞いた上で、そういう傾向あるよね、という話をしています。

実際、私が「もう要らない」からと物を捨てようとして、母に「えー!もったいない!まだ使えるじゃん!」と止められたことは一度や二度ではない。その度に私も「そうか、そうだよね。いつか使うかもしれないからとっておくか。」と、結局捨てられずに蓄積された物たちに再び埋もれていくのです。

私の実家は畳の部屋が多く、畳の上には常に物が置かれていた。ばあちゃんが毎朝掃除機をかけていたが、きっとその床に散らばる物たちをテーブルや棚に一旦上げて、掃除機をかけて、また戻していたのだと思う。新聞紙やティッシュの箱は畳の上にあったと記憶している。

居間はそんな状態だったが、私は「自分の部屋を片付けなさい」と叱られていた。今思えば「お前もな。」と言いたくなる状況だが、とにかく怒られるのがイヤだから、言われたら適当に片付けていた気がする。

高校時代まで使っていた私の部屋。当時の散らかりようはこんなもんじゃなかった。

当時の”片付け”は、物を1ヵ所に積む、押し入れに隠す、以上。という感じで、本当にキレイに片付いたわけではなかった。

まだ使える物は捨てられないけど、欲しい物はどんどん増えて、そのたびに収納棚も増える。今こうして書いていて気が付いたけど、我々家族はゴミ屋敷に住んでいたんだな。

満たされない心を物で埋めていた20代

高校を卒業してからは一人暮らしが始まる。若い女の子がひとりで住んでも安心できるレベルのマンション。新築ではないけど、許容できる古さの部屋に、ベッドとテーブル、電気屋で買った”新生活セット”と呼ばれる冷蔵庫・洗濯機・電子レンジに、実家から持ってきたテレビデオ。

もう家族の声は届かないから好きにできる!この頃は専門学校の友人たちをよく部屋に招いていたから、”足の踏み場もない”状態ではなかったはず。

その後、何度か引っ越しをした。2つ目のマンションまで、物は多かったがまだマシだった気がする。

3つ目のマンションから、私の部屋とメンタルが崩れ始める。そのマンションに引っ越したのは、前の仕事を辞めて会社の寮(=2つ目のマンション)を出ないといけなくなったから。

知人が住んでいた団地のそば。築30年以上。4階でエレベーターなし。だけど最寄り駅までは徒歩約50秒で、終点駅から2つ目だったから朝は座れてそれなりに気に入っていた。

そこに住んでいた7年間の間に、初めての転職や初めての夜職、何度かの恋愛、心療内科通いなど、様々な経験をした。

ときどき友人や母が泊まりに来たりはしていたが、基本的に人は呼ばない。呼べない。「今散らかってるからダメ」と訪問を断ることが多かった。

決定的な何かがあったわけではない。積み重なった何かが崩れて、メンタルも部屋もボロボロになっていた。

それでも人前ではそんなところを見せまいとして、毎日大量の服の中から自信のもてる服を選び、目の周りを黒いアイラインでガッツリ囲むメイクを施し、ブランドバッグを持って出掛けていた。

29歳でテレビを手放した

3つ目のマンションに住んで7年目。給料が上がってきたため、築浅のきれいなマンションに引っ越すことを決める。特に生活スタイルが変わったわけではないが、きれいなマンションに住んだことで、なんだか自信がついたように感じた。

相変わらず心療内科通いは続き、夜職も続けており、精神状態が良いわけではなかった。

マンション自体は新しくてきれいだが、私の部屋は大量の洋服やメイク道具、読みかけの本などで溢れていたように思う。そこを引き払うときの引越が大変だったから、きっとそうだろう。

そこを出ることになったのが2016年の秋だったと思う。その後は知人が物置として借りていた古いマンションの一角(1畳ほどのスペース)に住まわせてもらうことになった。それまで使っていた家具や家電は実家に送り、必要最低限の荷物で暮らすようになる。

必要最低限と言っても「スーツケース1個分」とか、そんなもんでは収まらなかった。スーツケース1個分+段ボール3つ分くらいはあったと思う。ほとんどが服・バッグ・靴だ。

倉庫のようなところに住んでいても、他人からはきれいに思われたかった。豊かだと思われたかった。狭いスペースに暮らしていることや、漫喫のシャワーが自分の風呂だということは隠したくて。私の中を見られたくなくて、必死で着飾っていた。今振り返ると、そんな自分が可愛くて仕方ない。

1畳分のスペースには当然テレビはない。小さいころからテレビっ子で、観なくても常にテレビが点いている環境だった。1人暮らしの間は特に、なんとなく寂しいから音を流すためにテレビを点けるという癖がついていた。

それを手放したとき、初めて自分の小さな常識が壊れたのかもしれない。「絶対になければならない」と思っていた物との決別。それがなくても生活できることに気付いた。そして、テレビなどのメディアによって植え付けられた「他人の価値観」が私の中にあること。それにも気付くことができて、私の中の常識を壊して、新しい世界に行くことを決意した。

「旅人」と呼ばれた3年間

バックパック2つとLサイズのスーツケースで旅をしていた頃。

知人の倉庫で借り暮らしをしていたのは、家賃がかからないからだった。30歳までしかとれないワーキングホリデービザ。それを使ってオーストラリアへ行くために、狭い部屋で暮らしながらお金を貯めていた。

そして29歳11か月のときにオーストラリアに発つことになる。大きな荷物は全て実家に送ってあるから、身軽になって飛ぶことができた。とはいえ、初めての海外暮らし。何が必要で、現地では何が手に入るのか、手に入らないのか、そんなことも分からなかった。不安を手放せなかった結果、荷物は30Kg以上になってしまった。

私の不安が物質化した物たちを引きずりながら、およそ3年ほど、国内外の旅暮らしを続けていた。

たくさんの物を持っていても幸せになれるとは限らない

一緒にモロッコを旅したスーツケース。ロストバゲージという苦い思い出付き。

幼いころから実家は貧しくて、欲しい物を口に出せば「お金がない」と返される日々。欲しいものが買えない欠乏感から、「お金があれば満たされて幸せになれる」そう思うようになっていた。

社会に出て働くようになってからは、給料のほとんどを自分の欲しい物に使い、貯金はほとんどできたことがない。欲しい物を手に入れれば幸せになれるから。それを信じて、クレジットカードのリボ払いやキャッシングを利用してまでも買い物を繰り返していた。

そしてそのお金を返すためにダブルワーク・トリプルワークをし、寝不足の毎日。もう働きたくない!そう思って、私は自分の人生を自分で操縦することをやめようとした。結婚して、誰かに幸せにしてもらおう。そう思ったのだ。

話はとんとん拍子に進んでいき、家族との顔合わせが済んだ。物知りで、お金持ちで、頼りになる人。もう私はラクになれる、幸せになれる。そう思えたのはほんの一瞬だった。幸せに向かっているはずの私は、なぜか毎日泣いていた。その人に毎日怒鳴られていたのだ。

これがエスカレートしたら本当にヤバい。そう気づいたある日、必要最低限の着替えとスマホ・パソコンを持って、家を飛び出した。その人とはそれっきり会っていない。

その人の家にあった私の荷物は全て実家に送られてきた。中くらいのサイズの段ボール7個とLサイズのスーツケース。そのほとんどが洋服。

その人との生活は金銭的にも物質的にも不自由はなかった。私が欲しい物はほとんど持っていた。周りからは「玉の輿じゃない⁉」「ようやく幸せになって安心した」そんな風に声をかけてもらったから、これが幸せなのだと思っていたんだ。最初は。

だけどやっぱりごまかせない。私は幸せを感じていなかった。平穏であたたかく安らいだ気持ちなんてなかった。

それから数年経った今。そのことを冷静に振り返ることができるようになって分かった。幸せは、お金や物で計ることはできない。幸せになるためにお金が欲しかったけど、それ自体は単なる手段であって、目的ではないということ。お金や物質は、その先の幸福感を得るためのツールのひとつに過ぎない。そこにようやく気が付くことができた。

本当に手放したかったのは物ではなく不安感

2023年1月から大量の荷物を処分した。これはその一部。

これまで大量に持っていた物たち。中でも服や靴・バッグなどの装飾品、本(習い事のテキストなども含む)、旅行用品などで、クローゼット内はギュウギュウだった。

これらを捨てられなかった理由はただひとつ。

「いつか使うかも」しれないから。

これは今後できるだけ使いたくない言葉です。

「いつか」とは、想定できない未来を指す言葉。つまり、「いつか」は永遠に来ないのだ。そんなことは分かりきっていたはずなのに、手放すことができなかった。「いつか」がいつかやってくると思っていたから。

いつか使うときがくるかもしれない。今捨ててしまったら、また買うことになってしまう。そのために、余計に働かなければいけない。だから残しておこう。そうやって、何年もクローゼットで光を浴びずに眠っていました。

だけどもう観念しました。いつかなんて来ません。

その服を着る未来も、そのバッグを持つ未来も、その本で勉強する未来も、その街に旅する未来も。私が決めない限り、来ないのです。

もしそんな未来がくるとしても、その時の私は今の私とは違う私になっているはず。その服はもう着たくないし、そのバッグは持ちたくないし、その勉強は必要ないし、旅するのはその街ではない。

だからもう必要ない。大丈夫。もう必要ないんだよ。手放していいんだよ。軽くなっていいんだよ。

自分自身にそんな声掛けができるようになったから、服もバッグも本も必要最低限まで減らしました。「旅人」と呼ばれていた私の必需品・スーツケースとバックパックももうありません。クローゼットの中の物は半分くらいになりました。

今まで苦しみながら働いてきちゃったから。苦しみながらお金を稼いできちゃったから。自分の物は自分の稼いだお金で買わなきゃいけないと思い込んできちゃったから。

物を得るハードルが上がった分、手放すハードルも上がってしまったんですね。

自分はマキシマリストなのだと開き直っていた頃。

物を手放して変わったこと

2023年3月現在の部屋。こんなに床が見えているのは生まれて初めて。

すぐに決断できる

1番の変化は迷う時間が減ったこと。毎朝の服を選ぶ時間、バッグを選ぶ時間、休日の過ごし方などなど、選択肢が少ないから選ぶのが楽です。

「掃除機かけようかな?」「でもめんどくさいから後にしようかな」そんな迷いもなくなりました。以前なら、床に物が散らかっているため、まずはそれを片付けないと掃除機をかけることができませんでした。それが今は「ササっと終わらせてしまおう!」そう思えるようになったのです。床に物がないことや髪の毛やホコリが落ちていないことがこんなに心地良いなんて!

物を手に入れること以上に、物を手放すのには時間と労力が必要。それが実体験を通して理解できたから、”消えもの”以外にお金を使うことには慎重になりました。もし購入後にそれを手放す場合、貰ってくれる人はいそうか、リサイクルショップに売れるのか、そんなことを考えるので、だんだん購買意欲がなくなってきます。

我慢しているわけではなく、本当に心から欲しいと思ったら買おうと思っています。買わないことに苦しさや虚しさ、寂しさはないのです。

物の居場所がすぐにわかる

物を探す時間が減ったことも変化したことのひとつ。「どこに置いたっけ?」これがなくなると、かなり時間の節約になりますね。これまでは何かを始める前に「物を探す時間」「作業場を用意する時間(片付け+掃除)」などなどがあり、スタートダッシュが遅れていました。しかし、今はやりたいことを比較的スムーズに始めることができるのです。あぁ…なんて快適なのでしょう。

物にも”気持ち”があるのかもしれない

クローゼットがギュウギュウになるほど詰め込まれた物たち。2022年まではこんな状態だった。

真っ暗なクローゼットに押し込められた物たち。かつては希望に満ち溢れて、たくさんの光を浴びて、持ち主である私と楽しい日々を送っていたはず…「今日も私を着てお出かけしてくれるかな?♪(服の声)」「私を履いてくれたら、素敵な場所に連れてってあげるよ♡(靴の声)」「私を読んだら、新しい考えが生まれちゃうよ♪(本の声)」

そんな風に物を擬人化して向き合ってみたら、クローゼットに閉じ込めちゃって、なんだかとっても申し訳ない気持ちになりました。たまに目があえば「そのうち使ってあげるから。」って確定してない約束で期待させて、「やっと使ってもらえる!」って期待させときながら、クローゼットの更に奥に閉じ込める。

ひっどいヤツだな~私。笑

これが恋人だったらすぐ別れるわ。

もう使わないんだったら、ちゃんと使ってくれる人に譲るなり、役目を終えたならゴミに出すなりして、ちゃんとお別れしないと。いつまでも過去の自分を引きずることになります。

変わりたくないならそのままでもいいのかもしれない。棺桶に一緒に入れてもらえるまで、大切に持っていたらいい。でもそうじゃない。変わりたいと思ったから、変われると思ったから片付けたのです。

過去に対する後悔や未来への不安に対して、思考や感情が振り回されないように。軸がしっかりと強固な自分になるために、更に片付けに力を入れていきます。

『あなたの部屋が汚いのは、才能がありすぎるから』

最初に紹介した書籍『あなたの部屋が汚いのは、才能がありすぎるから』は、片付けられないことを否定せずに受け止めてくれる優しい本でした。これまで何冊か有名な片付け本を読んできましたが、「○○だから散らかるんだ」「○○だから物が増えるんだ」など、自分を責めるような気持ちで読んでしまい、気分が落ちてしまいました。片付けのテクニックなどが紹介されたハウツー的な本は、実践してみるも、どれもこれもリバウンド。

この本は、「片付けたいけど片付けられない」私の心に寄り添ってくれました。読んでいたら涙が溢れてきて、浄化されたように感じます。片付けられない原因やハウツーにフォーカスするのではなく、もっと心の深い部分のモヤモヤから救ってくれるような本です。

自分にどんな才能が秘められているのかを探る診断がついており、今後の趣味や仕事に活かせそうでした。私のように物が溢れて困っている方は、一度手に取ってみてほしいです。スッキリしたお部屋で、豊かさを感じながら生活できますように。

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